映画ブログ / ポール・ニューマン

ポール・ニューマンは自分にとって「神」であり、目指すべき「男の背中」だった。その名を決して霞ませてはならない・・・

マーロン・ブランドの肉声

 ★★★★☆ 4.9点

 「映画」としては満点をつけられないが、一人の演技の「天才」の記録として、映画史的資料としては、軽く5点を振り切る。

それだけ深く重いメッセージがこめられた映画だ。

マーロン・ブランド』という、戦後文化史の巨人を思うとき、自分のような一映画ファンでさえ、様々な思いが去来し、何を書くべきかなかなかまとまらない。

とにかく天才は意図的な努力だけでなく、さまざまな偶然によって磨かれ、研ぎ澄まされ、誕生する。DNA、家庭環境、出会い、時代など、本人に降りかかる様々な偶然のような出来事が、才能を磨いていく。そして、恐ろしいほどに繊細な感受性と不正になじめない純粋性、そして感情量の多さが社会に適応しづらくさせる。

アクターズ・スタジオの少し後輩のポール・ニューマンと比べると、自己抑制力の違いがまざまざだ。誰のようになりたいかと問われれば、一瞬の躊躇いもなくポール・ニューマンだが、たった一つ最高の演技を選べと言われたら、やはりどうしてもマーロン・ブランドになってしまう。それが天才の天才たるゆえんだ。

天才が豊かな人格の衣をまとっているケースもないわけではない。長嶋茂雄は間違いなくそう。しかし異なる例も多い。天才であること、大きな屋敷に住めることが、必ずしも幸福ではないことが、この映画をみるとよく分かる。

出会いといえば、スタニスラフスキーシステムをロシアから持ち帰ったステラ・アドラーとの出会いが、ブランドの人生を飛躍的に変えた。彼をスターダムに押し上げた名作『欲望という名の電車』で、その妻の名はステラだが、劇中、彼は役のなかで、「ステラ!」を何度も絶叫する。(偶然ではないような気もする。)これがとても印象的で、仲代達矢などはよく真似して鉄橋の下で叫んだという。そのスタニスラフスキーシステムだが、今では功罪あると言われている。最近ではヒース・レジャーの例がある。

まあ、とにかく。自分にとって思い入れのある作品は以下のよう。いずれも映画の中で映像とブランドのコメントが聞ける。(ドン・サバティーニはありません)

【演技】
欲望という名の電車
波止場
ゴッド・ファーザー
ラスト・タンゴ・イン・パリ

【話題】
裸足の伯爵婦人 ※チャップリン
地獄の黙示録 ※コッポラと
スーパーマン ※ギャラ

【唯一映画館で】
ドン・サバティーニ
※唯一コメディで成功では?

天才は、人生が一篇の詩のよう。神は、人々に人種差別問題に気づかせるために、演技の才能をあたえてマーロン・ブランドをこの世につかわした・・・と思ってしまう。彼がいなければ、インディアンにたいする偏見が改まることはなかったと思うし。ハリウッドから人種ごとのキャラ設定が改まることもなかったはずだ。

 

傷だらけの栄光

★★★★☆ 4.7点

『ロッキー』の原点。

実在のミドル級世界チャンピオン、ロッキー・グラジアーノの半生を描いた秀作。


ニューマンも、同じアクターズ・スタジオの先輩マーロン・ブランドもボクサーの演技の役作りのために、このロッキー・グラジアーノと寝食を共にしたことは有名。ちなみにマーロン・ブランドの『波止場』の演技は神。その演技には劣ってしまうけど、それでも自分にとっては大事な大好きな映画。

ニューマン演じるロッキーが酒場のカウンターで悩んでいると、酒場の親父がソーダの例え話で教訓たれるが、それが千金の重み。自分にとってもね。(泣) 

Somebody up there likes me.♪
このタイトル原題がラストに流れると、ざーっとあったかい涙が溢れてくる。いま、『クリード』で『ロッキー』を観直す人多いと思うけど、ついでに是非観てほしい映画。

『理由なき反抗』『栄光への脱出』で脇役を固めるサル・ミネオも出演。不良仲間に、スティーブ・マックィーンが出演。

ちなみに「ロッキー・グラジアーノ」の本名は「ロッコ・バルベラ」だ。
傷だらけの栄光 [DVD]

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傷だらけの栄光 [VHS]

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ヒッチコック / トリュフォー

 ★★ 5.0点

ヒッチコック/トリュフォー [DVD]

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 (有楽町の映画館にて鑑賞)

どんなに賞賛しても足りない。

それほどに、この映画の価値は高い。

ヌーベルバーグの騎手「フランソワ・トリュフォー」が、サスペンスの巨匠「ヒッチコック」の映画技法の真相、映画への想いに迫る。

両監督の言葉はもちろん、そうそうたる他の出演者の一言も、使われているシーンの1カットも見逃せない充実の80分。

あ~、俺って、ほんとに映画が好きなんだなあ~って、改めて「実感」。

ヒッチコックは、時を操り、観客の心を弄ぶ「時を刻む彫刻家」。ロジックより視覚に訴える技法。映画界の中央にあって、技法的には隅にいる人。

映画の純粋性はサイレント映画のなかにある。映画が音と引き換えに失ったものは大きい。

by ヒッチコック

まさにうならされる宝石のような言葉がちらばり、拾うのに大変。これから観に行く人は是非メモの用意をされたい。(笑)

今公開中の「沈黙」のマーチン・スコセッシが熱弁。彼は特に『サイコ』を熱く熱く語る。再見したくなる!

他の監督たちが『めまい』について語ってたけど、自分はそこまで深く理解してなく。男が女に抱く幻想を現実の女性にはめこんではいけないよ的な教訓程度に思ってたので、再見の必要を感じた。

トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』は大好きで、DVDもポスターも購入しており、そのシーンも多く取り上げられていて大満足。

 個人的には、ヒッチコックは、『裏窓』『北北西に進路を取れ』『知りすぎていた男』『フレンジー』『サイコ』がその順で大好き。しかし、この映画をみて、『めまい』『間違えられた男』『汚名』『私は告白する』『サイコ』を再見する必要を強く感じてしまった。まだ若かったからね。(^_^;)

ヒッチコックの手法と台頭してきたアクターズ・スタジオ出身の俳優たちとの不協和感は興味深い。モンゴメリー・クリフトの『私は告白する』での視線の位置に言及してたが、面白かった!俺が大大大好きなポール・ニューマンヒッチコックとの対立は有名な話だから、特に成る程と。『引き裂かれたカーテン』少し映ってたな。個人的にはニューマン映画としてでなく、ヒッチコック映画として好き。

ヒッチコックは晩年、トリュフォーに宛てた手紙のなかで、「古い手法を変えたほうがいいのだろうか」と何度もきいていたという。

悲しい。

評論家たちの批評をものともせず、観客たる大衆の求めるものを作り続けてきたのに、その観客たちは簡単に彼を追い越してしまった・・・・。

トリュフォーは、その著書で、ヒッチコックの評価を単たる『商業映画の監督』から『芸術家』に引き上げた。

本来の位置だろう。

その友情も微笑ましい。

映画は「芸術」なのだ。

そして、芸術とは時代を超えて何度も生き返る究極の「エンターテイメント」なのだ。

文章中もしくは映画の中で取り上げられていた映画

    ↓ 

サイコ (字幕版)

サイコ (字幕版)

 
大人は判ってくれない [DVD]

大人は判ってくれない [DVD]

 
裏窓 (字幕版)

裏窓 (字幕版)

 
フレンジー [DVD]

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間違えられた男(字幕版)
 
私は告白する (字幕版)
 

 

映画の中で、出てくる「本」

   ↓ 

ヒッチコック映画術
 
Hitchcock

Hitchcock